吉田創の人生を考える

  ※今回は前回に比べてもさらに文章の質が低いです。

 

  『葬式の名人』は死んだ吉田創の周りの人々について描いた作品であり、吉田が野球部を辞めてから死ぬまでが事細かに解説されるわけではないが、主人公らの発言から予想することはできる。しかしこの映画のあまりに奇怪な脚本のせいで、吉田創の行動を予想すればするほど、台詞に矛盾が生じ、吉田創の行動が理解できなくなる。レンタル期間もせっかく一週間あるので台詞や設定を拾い吉田創について考えたい。

 

  まず吉田の在学中の行動やそのタイミングは予想することすら困難である。同級生の一人の話によると吉田創は高3の夏の大阪大会決勝戦で負傷し野球部を辞め放浪の旅に出、その後誰も吉田創と会っていないらしい。しかし高3の体育祭において吉田創は腕を負傷したため太鼓を叩いていたという描写もある。吉田創が放浪の旅に出たタイミングが全く分からない。(※)そして主人公雪子と吉田創の子どもができたであろうタイミングを考えると吉田創アメリカに行く理由がわからない。雪子の子どもあきおの年齢は明示されていないので子役の年齢からの予想になるが幼めに見積もって8.9歳が妥当だと考える。雪子らの年齢は28歳なので19∼20歳で子供を産んだのことになる。吉田の親が「反対したために雪子に苦労を掛けた」と述べていること、吉田創と雪子は大学等には行かなかったことから考えるとこの年齢も不自然ではない。20歳前後で子どもをもつことに関してはここで問題にするべきではない。雪子は16歳のときに最後の肉親の祖父をなく天涯孤独になったという設定もあり、血のつながりを持つ家族を欲すること自体は十分考えられるからである。ここで問題になるのがヒモ男吉田創の行動である。野球部を辞め絵を描いていたらしい吉田創は同級生から金を借り単身アメリカに渡っていた。同級生はアメリカに絵の勉強をしに行ったと語っているが、帰国した吉田創の鞄に入っていたのは吉田創が描いた完全に日本で一般に読まれているものと同じスタイルの漫画であった。日本でやれの一言に尽きる。終盤雪子の夢に現れた吉田創は今まで何をしていたかを聞かれ「知らん、ボール追いかけててん」と答える。頭がおかしいのではなかろうか。16歳から天涯孤独で生きてきた妻と息子を残しアメリカに行き日本で出来ることしていた男を許せるのか?雪子自身は息子に「父親は必ず大リーグのボールを持って帰ってくる」と言い聞かせているあたり納得しているようであるが、せめてアメリカでしかできないことをアメリカでしてほしいものである。吉田の両親が反対していたからというのも考えられるがそこで一人でアメリカに行くという判断には真っ当な人間であればならない。吉田創本人の登場シーンは少なく本心をわからなくすることこそがこの映画の表現と好意的に解釈することもできなくはないが、雪子と息子に対する責任を完全に放棄していることは覆しようのない事実である。夢を追うヒモ男とその子どもを一人で育てる天涯孤独の女、感情移入できようはずがない。シングルマザーや天涯孤独な身の上、高校時代に諦めた夢などは確かに登場人物を悲愴的に彩るには都合の良い設定ではあるが詰め込みすぎた設定が渋滞し破綻してしまっているのである。

 

  登場人物の行動の根幹となるものが固まっておらず、吉田創も彼を取り巻く人々も狂人にしか見えなくなってしまっている点も大きな問題点の一つであろう。ちなみに吉田創がトラックにはねられるシーンは完全にはねられに行ってるので見ような。

 

※:この部分に関しては「揚げ足取りだ」と言われればそうかもしれないが、『葬式の名人』は学生の自主製作映画ではなくプロが興行として行う「商品」であり、このような矛盾を有した脚本は許されない。


加筆:あきおの年齢は9歳と設定されていたので18〜20歳のときの子どもです。